南の槓をすると和了出来ない呪いがかかる格言。
語源としては、「難関」の駄洒落であるという説が多いが、
どちらかというと南家の役割のことを考える方がしっくりくる。
麻雀は親番での和了が重要なゲームでもあるので、
「親の手を安くてもいいからとにかく蹴る」役割は、「ポン」をするときに親のツモ牌を減らすことができる南家が担うことが多い。
槓をする行為は打点を上げに行くための動きなので、南家がそんなことしてないで安く手を進めて最悪差し込みも期待しておけよ、という
南家が槓をすることを咎めるための格言として生まれたのではないか、というもの。
この格言を単なる駄洒落だと思っていると、後者の意味を理解しないままになるのでだいぶ印象が変わる。
現在の麻雀はデジタル思考が広まっているが、この種の「家」の役割というものは多少は理解しておいた方がフリーで打つ時には役に立ちやすい。