麻雀はMリーグなどの健全なものや、オンライン麻雀ゲームといった土壌でプレイしている人たちは別として、
基本的には駄目人間が集う類のゲーム。
仕事もせずに雀荘に入り浸るような輩は自分を真っ当な生き方をしているというのは無理があるだろう。
たまーに雀荘に顔を出す、仕事帰りに一局、という人も似たようなものだ。
麻雀をやっている時間を勉強なり仕事なりをして自らを向上させるために使った方が有意義なのは誰が見ても間違いない。
しかし、同種の遊び、パチンコ・スロットと比較するとどうにも妙なことに気付く。
「あれ?高学歴妙に多くね?」と。
一般的に、高学歴ということは高校生くらいまでは真面目に生きていた人が多いはずだ。
多少不真面目だったとしても、それを補って余りある頭脳があった、ということになる。
当然その大部分はこんな人生において何も積み重ねることができないような遊戯に時間を使い続ける、ということに
否定的な考えを持つはずなのだ。
なぜそうならないのか?
こんな考察には当然何一つ意味はないが、ちょっと考えてみる。
最近はそれほど多くないかもしれないが、麻雀と言えば「大学生の娯楽」としてかなり強かった時代がある。
1ゲームあたり4人という少なくない人数を必要とし、ある程度の訓練(ルール認識など)が必要である、というゲームを成立させる最低条件は
同一集団の中で受け継がれていかないとなかなか浸透しない。
ゲームに使う時間も比較的長く、熟練者でなくても勝利することができるという程よいバランスでギャンブル要素がある。
1回のゲームの準備に対して必要な環境を構築するのに少し手間がかかる(麻雀牌のセット、テーブル、マットを用意して初めてゲーム可能)ので、1回で終わらせるよりは複数局を続けて遊んでおきたい。
これは、「暇な時間が多い集団」にとって絶妙なゲームと言える。
小学生にとっては、若干覚えることが多すぎる上にもっとアクティブな遊びをすることが恥ずかしくない
中学生あたりは覚え始めることはできるかもしれないが、雀荘に入れないので麻雀牌を持っている誰かがいないといけない。
高校生も同様だ。しかも部活や勉強、バイトを始めるなど、麻雀ばかりに時間を使っていられないくらいこの年代はやるべきことが多い。
大学生は「真面目に大学生活を送る」層以外にとって、麻雀をやる条件は恐ろしく揃ってしまっている。
まず、「雀荘に行ける」これがでかい。
勉強は「自分がやろうとしないとやる必要がない」のが大学。単位は落とすがそうならないようにするために面倒を見てくれる人はいない。つまり、時間は腐るほどあるように錯覚する。
覚えるのが決して簡単なゲームではないため、それなり以上の知能レベルが必要だが、受験によりそれがクリアできる層であることが担保されてしまう。
ある程度近い人種が集合するため、頭脳戦の要素が同一集団内の格差をつけるための競争として魅力を持つ。
ある程度の「自由にできる金銭」を持ち始める。それを増やしたり減らしたりするギャンブルの格好の的。
先輩どもから文化として着々と受け継がれてしまうちょうど良い閉鎖性。
数人ならいつでも集合できるくらいのコミュニティだが、球技などをするには少し人数が集まりにくいくらいの集団が作られやすい。
ああ、これは大学生がハマるゲームだわ。
さて、大学生は麻雀に触れやすい環境だということはわかった。
とはいえあくまでもゲーム。卒業し社会人になれば自然と麻雀をやる機会も減っていくだろう。
普通の大学生であれば、ここで麻雀は一つの「娯楽」で着地する。
ここで終わらないのが麻雀中毒者。
悲しいことに、麻雀はそのゲーム内容からして「必ずしも理論通りに進むわけではない」という、ゲームそのものに含まれているギャンブル性がある。
そして、「人の行動を分析・想定して自身の行動を決める」という、確率論も併用した上での高度な読み合いを行うこともできてしまう。
つまり、ゲームとして恐ろしく「知能が高い人」を殺すゲームなのだ。
計算や読みが優秀である人ほど「最も有効な選択」を取れる率も上がっていく。当然おおきく均すことでそういう人が勝ち組に回るわけだが、
「最高の選択肢」をとったつもりでも、それがうまくいかないことも十分にある。
そして、「二分の一くらいの確率で放銃するなあ」といった状態がわかっていたとして、その二分の一の正解を選べた時の脳への快楽物質の量は、
何もわからずにその正解を選んだ人とは比べ物にならない。
理解力が高まっている人ほど、「ギャンブル」の精度が上がってしまうのだ。
そして、「均すと勝ち組」というのもまたポイントであり、自分が強い、と階級の上位に入っている事への自信や優越感といったものは
「他の選択肢」よりも「麻雀」を優先してしまう理由の一つになる。誰だって王様でいたいのだ。特に受験戦争という競争を経た人であれば尚更。
そして、麻雀を優先したばかりに成績や単位を落としたり、下手したら留年するわけだが、それによってさらに人生の選択肢の幅を削ることになる。
こうして、また一人の雀ゴロが生まれる・・・
こうしてみると、麻雀はむしろ「優秀な頭脳を持ちながら麻雀に出会ってしまったために人生を狂わせた」人を量産してきたといえる。
もしかしたら、彼らは麻雀に出会わなければノーベル賞を獲得し人類の発展に寄与したかもしれず、
ビジネスマンとして活躍し、起業し、日本を代表する企業を作り上げたかもしれない。
そんな人が今日もフリー麻雀で予想とは異なる結果にイライラしている、と考えると酒が進みますね。
注)この記事は、管理人が適当に判断した内容です。あっているかどうかなど知らん。